初めまして。 [★ニッカウヰスキー]
麦溜 [Bakrew] と申します。
ハンドルネーム「麦溜」の由来ですが、
ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝氏のご子息で、第二代マスターブレンダ―を務められ、現在は相談役をされている竹鶴威氏が、NIKKA倶楽部メールマガジン「From the Barrel 68号」に、次のようなエピソードを紹介されている。
(抜粋)
戦時中、政孝親父がウイスキーの呼称を「麦溜」にしたらどうか、とラベルまでつくっていた。
当時、敵国の言葉を使ってはいけない、ということで野球の「ストライク」を “よし”、「ボール」を “だめ” と呼んでいたり、米国の地名などを用いた社名は日本語のものに変更させられたりしていた。そのため「ウイスキー」という表記も禁止されるだろうと考えて「麦溜」にしたようである。そうこうしているうちに終戦を迎えたため、わざわざ用意したラベルを使うことはなかった。
戦前、ビールを「麦酒」と漢字標記していたことに倣って、ウイスキーを「麦溜」とされたようだ。
その「麦溜」を、たいへん僭越ながら拝借させていただいた。
好きなウイスキーについて、肩に力を入れずにぼちぼちと書いていきますので、よろしかったらお付き合いください。
(2010年10月以前の拙ブログを、こちらに載せています)
ハンドルネーム「麦溜」の由来ですが、
ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝氏のご子息で、第二代マスターブレンダ―を務められ、現在は相談役をされている竹鶴威氏が、NIKKA倶楽部メールマガジン「From the Barrel 68号」に、次のようなエピソードを紹介されている。
(抜粋)
戦時中、政孝親父がウイスキーの呼称を「麦溜」にしたらどうか、とラベルまでつくっていた。
当時、敵国の言葉を使ってはいけない、ということで野球の「ストライク」を “よし”、「ボール」を “だめ” と呼んでいたり、米国の地名などを用いた社名は日本語のものに変更させられたりしていた。そのため「ウイスキー」という表記も禁止されるだろうと考えて「麦溜」にしたようである。そうこうしているうちに終戦を迎えたため、わざわざ用意したラベルを使うことはなかった。
戦前、ビールを「麦酒」と漢字標記していたことに倣って、ウイスキーを「麦溜」とされたようだ。
その「麦溜」を、たいへん僭越ながら拝借させていただいた。
好きなウイスキーについて、肩に力を入れずにぼちぼちと書いていきますので、よろしかったらお付き合いください。
(2010年10月以前の拙ブログを、こちらに載せています)